父親・・・
平成28年7月8日に私の父親が他界しました。
正式には7日の20時ぐらいに心配停止したらしいのですが・・・74歳でした。
私の父はサラリーマンで勤続30数年、定年まで立派に務めあげました。
田舎の人間で小学校の時に父親が交通事故で亡くし苦労して生きて来たらしい・・・
高学歴で誰もが知っている企業に務めていたお陰で贅沢はしてないが普通に家族が生活させてもらった。
私はゴンタ坊主でよく怒鳴られたり手を上げられて性格は短気だったと思う。
いわゆる亭主関白、昭和の典型的な父親・・・
転勤族でよく引っ越しもしたが単身赴任が多く、今思えば余り遊びに行った思い出も少ない。
出来の悪かった私に中学3年の時に言われた事が凄く記憶に残っている。
「無理して高校や大学は行かんでもいいんやで。
お父さんみたいにサラリーマンやっても面白くないで・・・」
その時は勉強嫌いな私に気を使って言ってるんやろな、ぐらいに聞いてたと思う。
そして高校進学し野球をし、料理の専門学校、ホテルに就職、料理修行の為いくつかのホテルを転職。
33歳の時に結婚の意を伝えると凄く喜んでくれていた。
相手はどんな人か家柄とか根掘り葉掘り聞かれると思ったが父は・・・
「今まで自分のやりたいように自分で決めて今まで生きて来てるから今さら何も言うことはない。今回も自分で相手を決めたんやろ?」と・・・
その時の言葉で中3の時、父が私に言いたかった事は「自分の人生は自分でやりたいようにやれ」と伝えたかったのかなぁと思った。
その頃、父は定年を迎えこれといった趣味もなく家族との会話も少ない言葉足らず、気を許せる友人知人がいたのかわからないが、この頃から少しずつ痴ほう症になり始める。
やがて新聞の字が読めなくなり思うように会話も出来ない、私や母、弟達の名前も言えなくなり言葉も出せない。
とうとう施設のお世話になり、たまに家族を連れて会いに行くが当然会話も出来ず、子供たちもお爺ちゃんやでと言ってもピンとこない。
元々田舎の人間なので体幹が強く内臓系も正常だが脳が食べる事や飲む事、お腹が空いたという指令を出さないので衰弱していき、ゆっくりと亡くなった。
母から連絡を受け駆け付けたが不思議と私は実感がなかった・・・
数年会話していなかったからと思うが・・・
お通夜でも実感が湧かない・・・
お葬式の最中も実感が湧かない・・・
最後の棺桶にお花を添える時にやっと実感が湧いた・・・
もう父親の姿を見るのが最後と思ったら実感が湧き泣けてきた・・・
親父へ・・・
「俺は大丈夫やから。大好きな嫁、子供たちがいるから。住む家もあるし、今は自分の好きなやりたい仕事してるから。俺は今フランス料理のレストランやってるんやで!元気な時に来て欲しかったなぁ・・・美味しい料理出すし大好きなビールもあるしウイスキーも焼酎も日本酒もあるで!」
「お父さんありがとう!頭が悪くて勉強嫌いで成績悪くて迷惑ばかりかけたのに自由に好きにさせてくれてありがとう!俺は大丈夫やから!俺は大丈夫やから!俺は大好きな家族が居てくれてるから凄く幸せやから、だから大丈夫やから・・・」
死んだら骨だけになる・・・
49日法要まではどこかにいて見てくれてるんかな・・・
少しだけでいいから話したいなぁ・・・
長らく待たせたお爺ちゃんとお婆ちゃんとゆっくり話して下さい!
あと40年後ぐらいにそっちにいくので、お酒飲みながら話ししましょう(^^)~